++  横光利一「蠅」についてのコメント  ++
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この掲示板は、第7回研究集会に呼応してつくられたものです。以下の趣旨に共感される方は、自由にコメントを書き込んでください。書き込まれたコメント類は、当日のディスカッションの参考にさせていただきます。
共通テーマは「教室のなかの横光利一」です。教科書や入試をふくむ教室/教育空間には、みえない諸力が働いているようです。だれもがいちどは通過する「教室」において、横光の作品(とくに「蠅」)はどのように読まれ、扱われてきたかを議論してみたいと思います。
対 象とするのは、横光利一の「蠅」[1923]です。それ以外の作品についてもOKです。「教室」で横光の作品を読んだり教わったりしたことのある人、ある いは教える側にたったことのある人は、そのときなにを感じ考えたかを自由に書き込んでください。たとえば、「面白かった、面白くなかった」でも構いませ ん。理由があれば、なおさら結構です。
横光利一の文学は、現代の私たちになにを伝えるのでしょうか。教育現場のリアルな声をひろく募集しています。
〔注意事項 ※投稿する際の「color」選択について〕
(1)教室で教わったことのある人(学生、生徒さん)は「blue」。
(2)教室で教えたことのある人は「red」。
(3)教室とはかかわりなく読んでいる人は「green」。
(4)テーマから外れるコメントは「gray」。
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■つながり悪いですが「蠅」の感想です。
  幸子(龍谷・文学部・2年)  
「目の大きな一臂の蠅」の表現に引っかかりを覚えました。
なぜ、わざわざ「目の大きな」を入れたのか?
目が大きい=すべてを見透している? もしくは、すべてを見ている?
くらいにしか考えが発展しませんでした。

全体としてはインパクトがあって、なかなかに楽しめました。
第一印象としては「馭者腹たつなぁ」でしたが、
そのあと来たのは虚無感。
人それぞれには、それぞれのドラマがあるのに、
感情をもたない蠅の目をとおしたら、
とてつもなく薄っぺらいものになってしまう。

なにかとてつもなく大きく偉大なものに一蹴される感じ、ですか。
それが運命なのかもしれませんが。
最後の一文に、虚無感が強まったように思います。

 
[No.32] 2006年07月11日(火) 22:41:26
60.56.149.60 [unknown]


■「蠅」の素朴な感想
  高野 純 (東洋大学・3年)  
「蠅」はストーリー的には
馬車が落ちて乗客が死にました。
蠅は生き残りました。
はい、終わり。
といった、オチとすら言えないような終わり方をする。オチがないことに横光なりの意味があるような。。。いや、ないような。
言いたいことがあるのか、ないのか。
わからないのが横光の狙いだったりするのかも。
また、意味のないことに意味をつけるのが
文学かなと思ったり
いや、思わなかったり。

饅頭がやけに丁寧に、書かれてるのをみると
饅頭というのは読み解く上で
そうとうキーワードになるのではないかと。
いや、絶対、この作品で「饅頭」は大切なはずだ!
カメラアイとか映画的な手法とかよりも
「饅頭」は大切だ!
くやしいので、べんきょうします。


PS

「蠅」を横光の代表作と言われると
小学生と中学生と高校生と日文じゃない大学生と
日文である私にますます、
横光は変人でわけがわからない。
という意識をうえつける危険性があるような。。。
いや、ないような。
 
[No.27] 2006年07月09日(日) 0:13:40
222.12.148.82 [unknown]
    ■Re: 「蠅」の素朴な感想
      石田仁志
    コメントをありがとう。この中で「オチ」がないとありますね。龍谷大の藤井さんのコメントにも同様の感想がありましたが、この作品で「オチ」があるとしたら、どのようなものだと思いますか。
     
    2006年07月11日(火) 17:42:48
    133.79.234.88 [unknown]


■蠅について
  藤井(龍谷 文学部)  
おもしろいと思います。
馬 車に乗ろうとしている人々はそれぞれ物語が始まりそうな要素(しかけ)を持っています。短編だと知らなければ、農婦の話になるのか、若者と娘の話になるの か、それとも・・・、と物語に対する期待が出てきます。しかし、結局物語は唐突に終わります。読者は期待を裏切られます。
この不条理をおもしろいとするかどうかですが、正直この物語にはオチがあるようでないと思います。情景描写のみで終わらせています。
もし自分が授業でこれを扱うのならば、馬車が落ちなかったらどんな話が続くか、というのを考えさせると思います。おもしろいと思うんですよ。人によって、主人公も違う(農婦、若者など)色々な物語ができると思います。自分なら町に着いた蠅の話を考えますね。
 
[No.31] 2006年07月11日(火) 1:37:13
125.52.125.156 [unknown]


■蠅について2
  りょう(龍谷大 文学部1回生)  
二回目の書き込みになります。
少し考えが変わりました。
さらにテキストを読んでみたのですが、どうやら偶然の不条理というよりも、命の重みの平等みたいなものを感じました。

たとえば、このテキストにおいて蠅の命が少しでも軽んじられれば面白みは半減すると思います。

それに、どんな事情を持った人間であっても「死」の前では平等だし、蠅もその点では乗客に数えられています。

終始、利一自身が誰の命にも評価を下さなかったことも、そういう意味が込められていたんじゃないかと感じました。
 
[No.30] 2006年07月10日(月) 23:05:44
220.102.119.151 [unknown]


■『蠅』の感想及び教室での横光
  瑞枝(社会人)  
趣味で読んでいる立場からの感想です。

『蠅』の章立ては、作品全体を紙芝居的に読ませる作戦かと感じました。
馭者の「潔癖」や「饅頭」に意識を向けさせられると思いました。
ですが、それは作者の作為に引っかかっただけであって、実は重要ではないのではないかという気もします。
登場人物についての情報が読者に与えられます。それは一見不必要なもののようですが、そうではなく過不足のない整った文章だという印象を受けました。
わたしは、どちらかといえば、やはり余韻を残す作品であると考えますし、それを感じました。

「教室」においての横光ですが、わたしが横光作品と出会ったのはまさに教室でした。
高校の現代文の授業で『春は馬車に乗って』の問題を解きました。
たしか「檻の中の理論」の辺りについてだったと思います。
作品がとてもきれいで、また奇妙だと感じましたので、題名と作者を覚えておき、卒業後ゆっくり読みました。
ラストの美しさは期待を裏切りませんでした。とても好きな作品です。
また、大学のゼミ形式の授業では、『春は馬車に乗って』と『花園の思想』について発表しましたが、うまくできませんでした。
好きな気持ちはうまく表現するのが難しいものですね。
 
[No.29] 2006年07月10日(月) 13:47:35
202.140.222.245 [unknown]


■管理人から情報提供。
  田口(龍谷大学)  
■龍谷大学の田口です。この掲示板の管理人のひとりです。よろしくお願いします。文字色は、greenを選択させていただきます。(今後も、管理人はgreenを選択ください。)


■ みなさんからの書き込み、とても心強く思っています。いずれも重要な示唆にとみ、あらためて考えさせられることばかりです。折をみて、いくつかの問題点に 整理し、みなさんのさらなるレスポンスを求めていきたいと願っています。もちろん、それ以外の書き込みも歓迎です。遠慮はいりません。よろしくお願いしま す。


■本日は、たまたま手許に「蠅」の載った教科書がありましたので、ご参考までに、教室のなかで「蠅」がどんなふうに扱われているかを紹介したいと思います。


■教科書は、『新編国語総合』[明治書院、平成15年1月初版、平成18年1月四版]です。占有率は3.0パーセントで、第一学習社の13.1パーセントに大きくひき離されているようです。目次をみますと、「現代文編」のなかに、小説(1)と小説(2)があり、
(1)のほうに、
鷺沢萠「指」、
三浦哲郎「春は夜汽車の窓から」、
(2)のほうに、
横光利一「蠅」、
芥川龍之介「羅生門」
が掲載されています。


■「蠅」の本文は、12ページ(pp82-93)にわたって掲載されています。本文下には「注」の欄があり、「場庭―宿場前の広場」、「種れんげ―マメ科の二年草。緑肥用に栽培され、夏、さやをたたいて種を採る」といった説明が付けられています。


■また、「注意点」として本文に★(赤色)をほどこし、たとえば、
★「真夏の宿場は空虚であった。」とは、どのような状態を言うのか。
★「目の大きな蠅」と目の大きさが強調されているのは、どうしてか。
といった質問が全部で11個つけられています。


■本文の末尾に著者紹介や出典の説明があり、最後の1ページに教科書特有の「学習の手引き」と「言葉の学習」とが掲載されています。以下に、まるごと引用しますので、みなさんは、こうした教科書の仕掛けについて、どのように考えるか。率直なご意見をお寄せください。

**************************************

■「学習の手引き」
1 「目の大きな一匹の蠅」(八二ページ3行)が登場する箇所をすべて抜き出し、「一匹の蠅」の果たす役割を考えてみよう。
2 登場人物の会話から次の(1)〜(4)について考えてみよう。
 (1)第三章 「農婦」と「馭者」の人物像。
 (2)第四章 「若者」と「娘」の境遇。
 (3)第五章 「母親」と「男の子」の気持ちの相違。
 (4)第六章 「田舎紳士」の性格。
3 第七章の説明調の表現に注意し、その効果を説明してみよう。
4 第十章で馬車が落下していく結末の場面はどのような意味を持つか、話し合ってみよう。


■「言葉の学習」
1 この小説における視覚的表現・聴覚的表現の効果をそれぞれ説明してみよう。
2 この小説で用いられている比喩(ひゆ)表現を抜き出し、その効果について考えてみよう。

***************************************
 
[No.28] 2006年07月11日(火) 6:34:03
58.70.0.217 [unknown]


■「蝿」「春は馬車に乗って」の授業感想
  石田仁志  
シンポジウムのパネラーの一人の石田です。
私のゼミの4年生(文学部日本文学文化学科)の感想です。ちなみに、文中の「教授」とは私ではありません。

「「蠅」は近現代文学史の授業で4人称の視点で描かれた新感覚派としての横光の代表作と習いました。登場人物の対話が皆無。不可抗力の前に人は無力であり、空虚である。人間ひとりひとりの主体性が問われた作品。
″羽″が何を示唆しているか考えてみろと珍しく教授が全文を(短かったからか)配り、熱心にやっていた記憶があるのですが、読んでみて何というか面白くないと思いました。
今、改めて読み直してみましたが何を伝えたいのかよくわからないです(-"-;)
むしろ、近現代の特講でやった「春は馬車に乗って」の妻の病気が悪化していく様子を腐ったダリヤや亀などに喩えていると言う話の方が分かりやすいし面白かったです。これは教授が記号論をやっているせいかもしれませんが…。」
 
[No.26] 2006年07月08日(土) 0:32:31
125.0.36.39 [unknown]


■「蠅」を読んで
  中村加奈子(東洋大学・4年)  
所謂「カメラ・アイ」と呼ばれる文章が印象的だが、それ故に主格が何処に居るのかが判りにくいように感じる。

しかし、主格こそが蠅であり、「馬車に乗る」という目的を本来持っていない蠅だからこそ、馭者や饅頭が象徴する運命から逃れられるのではないか。

「行きたい(生きたい)」と思う者が生き延びられず、何も思慮しない者(蠅)が生き延びるという、アイロニカルな運命観が提示されているのではないだろうか。

そして、馬車に乗り合わせた者も「町に行く(馬車の発車)」という目的よりもそれぞれの事情、欲を優先させている。

母親→息子の安否
男女→自分達の駆け落ち
親子→目の前の馬、梨
馭者→饅頭

唯一「事情」を持たない無欲な蠅が生き残るというのも、横光の運命観の提示ではないだろうか。
 MAIL
[No.25] 2006年07月08日(土) 0:10:57
219.1.51.200 [unknown]


■「蠅」の解釈
  ショウ(龍谷・法学部・1年)  
馭者は「運命」を、蠅は「神」を表しているのではないかと思った。

馬車に乗る人々には、それぞれ事情がある。
息子の死に目に会いにいく母であり、
かけ落ち中の男女であり、
幼い子どもを連れた母親であり、
ながい苦闘の末やっと成功をつかんだ紳士である。

しかし彼らの事情など馭者の知ったことではない。
将棋や饅頭といった小さな事で、
彼らの抜きさしならない状況をいくらでも遅らせることができる。
馭者が動かなければ、彼らの運命も動かないのだ。

そして、その運命の行き着く先を蠅だけは知っていた。
もちろん警告などはしてくれない。
やがて、彼らの事情にまったく関係なく平等に死が訪れる。
「神」はいつも人の運命を黙ってながめているだけだ。
知ったことか、と呟きながら。
 
[No.24] 2006年07月07日(金) 23:10:27
59.190.79.36 [unknown]


■「機械」part2
  田口(龍谷大学)  
■でしゃばりすぎま すが、今日中に学生さんたちにペーパーを返却しなければならないので、いまのうちに採録しておきます。「機械」の2回めが終わってのコメントの一部です。 概観していえることは、「機械」というテクストは、こんにちの学生さんたちにとっても、大いなるノイズとして迫っているということです。


■視力0.01の人の目からみた事実は、2.0の視力の人からみた事実よりもぼやけているかもしれません。たぶん「機械」は0.01の視力でみつめた真理が書かれた小説です。(文学部1年・女性)


■ 「主人」も「屋敷」も「私」の分身というか、自我の両極(天使と悪魔みたいなもの)で、すべては本当に「私」の夢として、「私」のなかで完結するのではな いだろうか。……「私」という存在も、じつはネームプレートのように薄っぺらで、「私」以外の名前を書き込んでしまえば、かんたんに「私」ではなくなる。 (文学部1年・男性)


■何もかも信用する主人。自分の好むもの(活動写真)だけを信じ、他者を信用しない軽部。人を利用するだけ の、智謀者屋敷。そして、それらの間で揺れる私。……人を利用しようとする賢者は殺され、人を信用するだけの、人を利用することができない愚者は、生き、 利用されつづける。……「機械」が社会のシステムをあらわしているとすれば、とても面白い気がする。バカじゃないと生き残れない。(文学部1年・男性)

 
[No.3] 2006年07月04日(火) 10:18:52
58.70.49.181 [unknown]
    ■Deleted.
      削除
    ユーザによって削除されました。
     
    2006年07月07日(金) 19:18:26



■東洋大学 一年 基礎演習3
  長島友莉恵  
馬車の運転手によってすべての命運がかかっているという何ともいえない不気味さが読んでいて感じられました。
蝿だけがすべてを見、またくもの巣に引っかかっているにも関わらず無事であったというところも、なんだか不条理さを象徴しているようで、あの小さな人物たちの行動の中に世の中の大抵のことが詰め込まれて描かれているのではないかと思いました。
 
[No.23] 2006年07月07日(金) 18:06:13
133.79.230.4 [unknown]


■(no subject)
  龍一(龍谷・文学部1回生)  
短いながら話の筋が通っていて、
最後は馬が崖から落ちて登場人物が死んでしまうが
物語が終わったという感じがして、
しつこくない、簡潔なのが良かった。
 
[No.22] 2006年07月07日(金) 17:05:23
172.16.44.7 [unknown]


■「蠅」について
  さとし(龍谷・文学部・1年)  
登場人物全員をある程度くわしく紹介しておきながら、
あっさり死なせてしまうあたりが少しおもしろかった。
偶然に死んだのなら気の毒だが、
悪くいえば、自分中心に考え馬車をせきたてる農婦、
かけおちのような感じで後ろめたい男女、
いたずら好きな息子と注意もしない母、
金の亡者の田舎紳士だとしたら、
死ぬの運命だったかもしれない。
 
[No.21] 2006年07月07日(金) 16:24:14
unknown [unknown]


■「蠅」の感想
  めい(龍谷・文学部・2年)  
最後に蠅だけ生き残ったのは、蠅が動物だからだと思います。
蠅は生きていくだけで精一杯で一所懸命だけど、人はただ生きているだけでは満足できず、いろんなものを持とうとして重くなる。
だから落ちたのかななんて思いました。

乗客と馭者にも違いがあると思います。乗客には目的や未来があるけれど、馭者は饅頭と将棋だけが楽しみの年老いた独身男。
乗客にとっては馬車が走る道は、未来へとつづく初めてみる道だけど、馭者にとっては毎日往復しているはずの道だし。

 
[No.20] 2006年07月06日(木) 20:44:58
60.56.145.204 [unknown]


■蠅について
  龍谷こうすけ(法1)  
このテキストは構成 とかそういう点ですごく完成されていると思います。しかし、という訳ではないですが、このテキストからは明瞭なパーツを積み上げていって最後の一つの(そ れもまた明瞭な)パーツを積んで全てが完成した途端、全体について予想はつくがはっきりとしたことはわからなくなる、そんな感じを受けました。
 
[No.19] 2006年07月06日(木) 16:01:19
172.16.53.31 [unknown]


■蠅について
  りょう(龍谷大 文学部1回生)  
「蠅」というテキストは、ラストで全てをご破算にしてしまい、あくまで読み手を突き放してしまうところに面白さがあると思う。

馬車の出発を焦らして最後にオトす構図は分かり易い。
ただ、文面があっさりとしているため、物語に深みがないように感じた。激情もなければ、明快さもない。

尾を引く余韻のない終幕が逆に読み手に漠然とした終わりを感じさせていると思った。
 
[No.18] 2006年07月05日(水) 23:29:26
220.102.119.151 [unknown]


■(no subject)
  まり(龍谷大学 文学部)  
物語が淡々とし過ぎていて、悲しい話なのにもかかわらず何の感情もわきませんでした。

後から考えれば、小説の中の蠅は人の運命を冷めた目で見ている横光自身だったのではないかと思います。






 
[No.17] 2006年07月05日(水) 22:51:46
64.12.116.9 [unknown]


■(no subject)
  ひとみ  
書き忘れ
文学部一回生です。
 
[No.16] 2006年07月05日(水) 15:41:20
220.107.49.87 [unknown]


■(no subject)
  渉(龍谷 法学部)  
小説の中で、比較的綿密に語られていた、宿屋に集まる人々それぞれのドラマ。ラスト、馬車が崖下に墜落することで、それら全てがまるで意味のないことだったかのようになるわけだが、そもそも蠅にとっては彼らの死自体が全く興味の対象ではなかった。
蠅と人々は同じ時間・空間の中にいたにも拘らず、そこにはなんの意味の融合も発生も起こらず、それこそが人々の死を一層虚しいものにしていると感じた。
 
[No.15] 2006年07月05日(水) 15:41:21
172.16.54.2 [unknown]


■(no subject)
  ひとみ  
人間は有能な生き物とされ、蠅は有能かどうかの対象にもされないような生き物です。
しかし、この小説のラストでは、羽があり飛ぶこと出来る蠅が軽々と死の危険を飛び越えて生き残り、人間は死んでしまう。

生命や死というものを対象にした時、人間はあまりに無力な生き物なのかもしれない、そんな事を考えさせられました。



 
[No.14] 2006年07月05日(水) 15:39:58
220.107.49.87 [unknown]


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