横光利一文学会
 ■ 活動予定
   第18回大会
2019年 3月 16日(土)  12:30
日本近代文学館ホール
◇研究発表
  • 前田 夏菜子  森敦「われ逝くもののごとく」論 -間隙の体感-
     森敦「われ逝くもののごとく」は、「群像」(昭59・3月〜昭62・2)に全36回連載後、単行本(昭62・5)として刊行された長編小説である。先行研究では、中村三春論(「方法としての〈わたし〉-森敦「われ逝くもののごとく」における語りの位相-」平29・7)の「「無人称」の形で「わたし」が介在する語りの構造」という指摘に対し、山本美紀論(「森敦「われ逝くもののごとく」論-発現するわたしと時間-」平29・3)は「語りはつねに現在の「わたし」が行っているもの」と捉え、「思い出を語る「わたし」がいる」としている。井上明芳論(「「われ逝くもののごとく」の特性-物語を語り、体験する-」平30・1)は、語りの位相は山本論と同じだが「語りながら体験している」「わたし」がいると捉えている。以上のように「わたし」に着眼した語りの構造分析に論点は集中しているため、語られている内容についての言及は余地を残している。森敦は、オーケストラを描きたいと思ったと述べているように、この物語に〈音〉が度々描かれていることは示唆的である。
     たとえば「われ逝くもののごとく」という言葉は、本来「西目」を指す言葉であったが〈音〉として人々に拡がり、別の意味づけがなされていく。さらに、最終場面での「わたし」は、岩石を打ち砕こうとすると歌が聞こえてくる。〈音〉が聞こえてくるとは、まさに身体的に〈ふれる〉ことを意味している。
     〈ふれる〉という動作は、この物語に散見される。サキは「西目」から多くの言葉を教わり、人々に伝えている。これはサキや他の人々が言葉に触れていると言えよう。また、サキとサキのががは対立をして、次第にサキのががは気が狂れてしまう。他にも、サキがお葉や「優しい声のあの人」の手に触れ、物語舞台を移動する。以上の〈ふれる〉という動作に共通しているのは、体感するという身体的な要素を有している点である。本発表では、〈ふれる〉という動作に注目しつつ、「われ逝くもののごとく」の物語内容を読み解きたい。
  • 友添 太貴  横光利一『寝園』と経済学
      横光利一『寝園』は、一九三〇年一一月から一二月まで『東京日日新聞』『大阪毎日新聞』夕刊に前半部が掲載され、その後一部の改稿を経て、後半部が一九三二年五月から一一月の間『文藝春秋』に連載された。『寝園』には奈奈江をはじめとした登場人物たちの綿密な心理の動きが描かれており、「心理小説」としての手法が発表当初から注目され、その心理描写についてこれまで多くの研究が蓄積されてきた。
     一方で『寝園』には、株式の暴落によって財産を失っていく梶や、経済学を研究している大学院生の高など、テクストにおいて株式市場の経済現象や経済学について様々なかたちで描かれていることを見逃すことはできない。確かに、奈奈江を中心とした恋愛関係や猪狩の際の誤射事件が中心に描かれるテクストのなかで、これらのことはそれほど前景化されていない。しかし、本発表で分析するように、横光は『寝園』を執筆する際に経済学者靜田均の論文を参照しており、『寝園』執筆時にこの論文を参照した事実がテクストにおいてどのような意味を持つのかを検討する必要がある。
      『寝園』における経済現象に注目した先行論では、テクストに描かれる経済の動きが同時代の経済状況をうつしとったものであるとして『寝園』を「経済寓意小説」とするものや、「純粋小説論」における「偶然」の概念から経済現象を描く意味を分析したものが提出されている。本発表ではそうした見方を踏まえつつ、まず『寝園』における表現やモチーフを分析し、それが靜田均の経済学論文とどのように結びつくのかを考察する。そして同時代の文学と経済学を取り巻く状況のなかで靜田均の論文を参照することが『寝園』や横光の文学活動においてどのような意味を持つものであったのかを明らかにし、横光と経済学との新たな結びつきを提示したい。
  • 黒田大河  横光利一の「満洲」体験-「歴史(はるぴん記)」をめぐって-
     「歴史(はるぴん記)」は、一九三二年一〇月号の『改造』に発表された。満洲事変から一年、「満洲国建国宣言」から半年、日満議定書が結ばれた直後である。創元社版『機械』(一九三五)に再録される。初出では随想欄だが、横光はこれを「小説」として扱っている。開拓期のハルピン移民からの聞き書きを元とし、「歴史」とは事実の「取捨選択をすることにある」と語られる。舘下徹志はその記述を「『上海』における「歴史的事実」観と背反する」(「横光利一『上海』の五・三〇事件-歴史叙述の反証可能性-」)と指摘している。本発表は上海事変から満洲事変へと至る歴史的断層を越えることで、『上海』とは異なった視角から「歴史」を描こうとした試みとして本作を読むものである。満洲事変以降に、あえて日露戦争以前の日本人移民のロシアへの道程を描くことに、どのような戦略があったのか。例えば「どこよりも複雑な凹凸を秘めてゐた平原」の上に群像を描き出す構図には、「静かなる羅列」や「ナポレオンと田虫」同様の相対化の視線が認められる。
     また「歴史(はるぴん記)」の背景には、横光の「国境」イメージの変遷が認められる。一九三〇年九月、満鉄の招きで京城から大連、長春、ハルピンへと旅した。一九二二年の京城、一九二八年の上海に続く外地体験であった。一九三六年の欧州行においては、ソ満国境をシベリア鉄道の側から越境する。このような体験から、横光は「満洲」を独特の「国境」概念において捉え返す。『歐洲紀行』(一九三七)に形象化された「国境」イメージを、『旅愁』第三篇(一九四二〜一九四三)において反復する姿勢からも、「満洲」体験によって刻まれた「国境」イメージは検討に値する。二度に渡る大東亜文学者大会での発言や「橋を渡る火」からも、横光の「満洲」体験の意味を考察する。
◇講演
  • 千葉俊二氏  文学と科学の相関性-横光利一、谷崎潤一郎を軸にして
     千葉俊二氏プロフィール
     一九四七(昭和二十二)年生まれ。早稲田大学名誉教授。早稲田大学第一文学部卒、同大学院文学研究科博士課程中退。谷崎潤一郎を中心に研究を展開し、近年は寺田寅彦など文学と科学との相関性へも関心を高めている。著書『谷崎潤一郎』『エリスのえくぼ』(小沢書店)『物語の法則』『物語のモラル』(青蛙房)『文学のなかの科学』(勉誠出版)、編著書『潤一郎ラビリンス』『谷崎潤一郎の恋文』(中央公論新社)など。

◇閉会の辞
    横光利一文学会代表  柳沢孝子
◇総会

午前11時から総会を開催します。

大会終了後、懇親会を開催します。当日、大会会場受付にてお申込みください。
 年間活動計画 

3月 『横光利一研究』発行
3月 大会
6月 会報発行
8月 『横光利一研究』合評会
8月 研究集会
12月 会報発行
※年度ごとに時期が前後することがあります。